声を出すことを、あきらめない。全盲の視覚障害だからこそ「在宅ワーク」に挑戦を。
視覚障害(全盲)のあるXさんは、現在、完全在宅での就労を目指して就労移行支援事業所manabyで訓練に励んでいます。かつては12年間、あん摩マッサージ指圧師としてデイサービスや整形外科に勤務していました。しかし、懸命に走り続けたある日、張り詰めていた糸が切れてしまいます。
「全盲ならマッサージ師」という固定観念との葛藤
盲学校での17年間、Xさんの周囲には常に「全盲ならマッサージ師になるしかない」という空気が流れていました。声の仕事や看護師に憧れた時期もありましたが、「映像が見えないと無理」「点字では受験できない」という厳しい現実に直面。高校3年生の終わりに選んだのは、当時の社会通念に沿ったマッサージの道でした。
リハビリに関わる仕事自体は、自分の手で患者さんを元気にできる、やりがいのあるものでした。しかし現場は、常にマルチタスクを求められる過酷な環境。多いときには一人で20人もの患者さんに対応することもありました。
様々な会話やリハビリ機器の音が鳴り響く中、動き回りながら一人ひとりの情報を、メモを取りながら覚えこむ。その環境での勤務や毎日の通勤は想像を絶する集中力を必要とし、全盲のXさんにとっては大きな負荷となっていました。福祉タクシーを利用した通勤に変わってから移動の負担は減りましたが、仕事量は年々増すばかりでした。
上司に仕事量について相談もしましたが、個人医院という環境では改善が難しく、我慢を重ねるしかありませんでした。
一人で抱え込む日々から、一歩外へ
コロナ禍に、自身の働き方について振り返ったXさん。
たくさんの人の中で仕事をするのは、自分には負担が大きい。さらに一人暮らしとなり生活が大きく変化、新たな職場への通勤練習を頼める身寄りもなく、ヘルパーの利用制限もある。そして何より、この地域は雪が降れば、頼みの点字ブロックさえ隠れてしまう……。頼りにしていた車の走行音も年々静かになり、音の無い信号では青なのか赤なのかさえわからない。
在宅ワークへの転職を考えて、相談機関を回ったこともありましたが、他の障害特性が優先されるといった雇用実情を前に、道は拓けませんでした。
「患者さんは元気がなくて来院される。だからこそ、自分が今の10倍のテンションで接しなければ」
そう自分を鼓舞し続けた結果、心身が限界を迎え、精神科で「うつ状態」との診断を受けます。ドクターストップによる休職。外で働く自信を完全に失ったXさんは、ついに退職を決意しました。
「もう5年は引きこもることになるかもしれない」 実家で一人、不安に押しつぶされそうになっていたXさんを救ったのは、周囲の「温か」で「強引」な関わりでした。友人や知人が食事を持って遊びに来てくれ、ヘルパーさんや知人は通院ついでにあえて外の世界へ連れ出してくれました。
さらにヘルパーさんたちは、Xさんが再び外の世界へ目を向けられるよう、本人が興味を持ちそうな話題やイベントの情報を根気強く届け続けました。本人のなかに「外出したい」という意欲が自然に芽生えるまで、絶え間なく働きかけてくれたのです。
療養を続けながら、Xさんは「動き慣れた自宅で、静かに集中して仕事がしたい」と改めて強く願うようになりました。
自分でも何かを変えなければと、調べて見つけたのがmanabyでした。電話をかける勇気が出るまでに1ヶ月を要しましたが、逡巡の末の一歩が新しい扉を開きます。電話支援員の「一緒にやってみましょう」という言葉に、背中を押されました。
自分を見つめて受け止める。そして新たな挑戦を
manabyで訓練を始めて6か月。パソコンスキルの学習にはMacBookの読み上げ機能と点字ディスプレイを駆使しています。Word、Googleドキュメント、最近ではスプレッドシートの訓練も始まりました。
情報の扱いに関しては盲学校時代に徹底した教育を受けており、ブラインドタッチはすでに小学校で習得済みです。学生時代は音声のみで全体像を把握するのが難しかった表計算ソフトも、技術の進化(VoiceOverの機能拡張)により、現在では「表が3つ出ています」といった状況説明を受けながら操作できるようになりました。
訓練の傍ら、在宅で働けるデータ入力やメール対応などの仕事を目指して、就職活動も始めています。
「最初の頃は、自分のことを喋れる状態じゃなかった。訓練を休みたいと言うことすら怖かった」とXさんは振り返ります。しかし、無理に引き出そうとせず自然体で接するスタッフとの距離感が、Xさんの心を解きほぐしていきました。
そして、コミュニケーションの在り方も、これまでと違う発見がありました。
盲学校時代は先生から取り調べのように「全てを把握されている」ような圧迫感を感じることもありましたが、ここでは適度な距離感で、自分のペースが尊重されます。
「manabyでは無理やり進まない、無理やり引き出さない、自然体で接してくれているので気持ちが楽になる。毎日チャットで自分の状態を報告するときも、元気じゃないのに元気ですという必要がなくなった」
気持ちを外に出すことは悪いことじゃないと気づき、かかりつけの精神科で先生にも話せるようになったと続けます。
「境界線(かべ)」を越えて、社会へ声を届ける
「SOSを出せるようになった」「遠慮がなくなった」。 周囲に気を使いすぎていたというXさんに、今ではそんなポジティブな変化が現れています。支援員も「もともとの明るい性格が戻り、自ら『挑戦したい』という意欲が出てきたようだ」と話します。
今では、支援員の提案に対してXさんが自身の経験を交えて意見を返す場面も増えています。 「全盲の利用者は、この事業所でも初めてのこと。支援員さんが知らないなら、企業さんも知らなくて当然です。だからこそ、こちらから伝えていくことが大切だと気づきました」
「ときには言い過ぎたかなと感じることもあるけど(笑)」せっかくご縁があって出会ったので、お互いにとっていい時間、今後につながる時間を過ごしていきたい、とXさんは続けます。
かつて自分を出すことを諦めていたXさん。心が解放された今、かつて見た映画や音楽を改めて鑑賞し、新鮮な感動に驚くこともあるそうです。
「障害があるからこれしかできない、と自分で壁を作らないでほしい」
働くことに悩む方、そして盲学校の後輩たちに向けて、就労支援という選択肢を頼ってほしいとXさんは語ります。さらに盲学校と支援現場が手を取り合い、時代に即した働き方の選択肢が社会に広がっていくことを願っています。
自分の得意なこと、不得意なことを言葉にして、新しい社会の在り方を探る日々。「一歩踏み出すスピードは人それぞれでいい。でも、恐れずにやってみてほしい」 その言葉は、葛藤と向き合い、挑戦し続ける人の、静かな強さに満ちていました。
(2026年4月取材)